カイヤン雑記帳

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【社会人学生AdC】未回収の博士号【12/15】

おはようございます,またはこんにちは,またはこんばんは.カイヤンです.

今回は社会人学生AdCの12月15日担当の記事です. 社会人博士(社D)は人数が決して多くないため,情報量も多くありません. 社Dを検討している大学の後輩もちらほらいますので,なぜ&どのようにして社Dになったのか,などだけでも公開することで集合知への寄与ができるのではないかと考え,今回のAdCに参加しました*1

TL;DR

社D進するためには以下の3点がポイントです.

  • 社Dが現実的に可能な会社を目指した就活をすることになります.似たスペックの同期よりもずっと落とされることが多くなるかもしれません.
  • 会社側だけでなく研究室側の理解も必要です.仕事が原因で研究室に来れないことに寛容でないボスの場合,お互いの不幸が待っているでしょう.
  • 仕事がD論に寄与できないことも考え,修士から業績に貪欲になりましょう*2

カイヤンはまだ博士号を取ったわけではないため必要条件に過ぎないことを注意してください.

記事構成

本記事の構成は以下の通りです.まず,そもそも博士号取得を志す前までの専門や研究に対するカイヤンの思考の変遷を記します.次に実際に社Dのケツイがみなぎった*3経緯を記します.それから,ケツイ後のG(raduated)ルート修士課程の過ごし方,次いで就職後の過ごし方を記します.最後に,現状整理と今後の展望を述べて結びます.実際の過ごし方だけご覧になりたい方は下記の目次を利用して後半以降をお読みください.また,前半のせいで記事の見た目が長くなるのも考え物なので折り畳みを使います.経緯説明のペース配分については,Dを実際に考えている後輩からの次のリプライを参考にしました.この場を借りて感謝いたします.

先にこの(意味合いをマージした)6点に回答すると,以下のようになります.

  • M1の前期終わり~夏休みころに社Dをケツイした.
  • 上長は嫌な顔というほどではない,と信じたい(むしろ心配をかけているかもしれない).PMは応援してくれた.会社として支援制度はなく裁量労働制の中でやり繰りする.
  • 平日は基本仕事だが合間を見つけたり帰宅後に研究することがある.休日はやる気があれば頭を捻るが体力気力回復に使いがち.
  • 仕事が平穏なら週一で夕方から,繁忙期はなんとかして月一で通う.
  • ボス先生とはラボに行く日=面談という関わり方で,それ以外の日は何かあればメールでやりとり.学生室に学生がいれば普通に雑談やディスカッションをするが後輩への教育義務はない.事務方とは特に関わりはない.
  • 勤め先と全く関係ない理論研究なため,権利関係や利害関係衝突はない*4.ただし発表時には社名を出す必要があったり,上長に機密情報がないことを確認してもらうフェーズがある.

目次は以下です.

自己紹介

恐れ入りますが,自分語りから導入させてください(次のセクションの方が自分語り感が強い気もしますが……*5).どんな属性の社Dなのかを最初に記した方がいいかと思いまして.

  • 受託分析や開発がメインの企業勤め(修士卒就職してから2年目).
  • 博士課程生としてはD1.
  • 研究室は修士と同じところで,分野は統計的学習理論・数理統計学
  • 査読有り国際雑誌論文1つ,非トップ国際会議論文1つ(オーラル発表),査読中国際雑誌論文2つ(1つは単著),その他国内会議発表いくつか.
    • 受賞経験はない(弊ラボの政治力は低い).
    • いずれも入学前の成果であり,社D後はまだ結果が出ていない…….
  • 競技系の実績はない.
  • 数学検定準1級,TOEICは4年前に500点台中盤をとったきり.
  • Twitterしたり動画見たりたまに電子・アナログ問わずゲームをするのが趣味.
  • 運動は通勤時の歩行くらい.
  • メンタルはタフではない.

次のセクションからの思考の振り返りはいっそ消そうかなとも思いましたが,やはり社Dとなると人生の構造変化点にもなるので個人的に振り返りたいという気持ちと,本AdCにもそういった記事があるのを見て勇気を貰ったことから残すことにしました.件の記事の著者であるnloglognさんに感謝を.

Dのケツイ以前

拙著就活エントリーとも重複しますが,専門への興味は「数学科志望→理学部に大学入試で落ちて生命系へ→数学科モグリ→応用数学の純粋理論を志す→統計的学習理論へ」という変遷を経ています.

chijan.hatenablog.jp

ここでは,研究に対してどのように考えが変化していったのかについて述べます.なお,本セクションはかなり過去のことも言及しますが,現在までの結果を以て過去の心理状態を修正して解釈している可能性があります.状態空間モデルで言うところのスムージングですね.できる限り当時の心境に忠実になるように書いてはいますが,人間は多かれ少なかれ自己正当化しないと心が持たないものなので,人生はスムージングがちです.

学部の研究室所属まで

学部の研究室所属までの経緯は冗長かもしれない&実際に長過ぎるので折り畳みます(インターンや就活のESをコピペしてもよかったかもですね).結論は,数学に触れられないのがイヤで堪らなかったのであがきました&早期卒業を志向しました(Dに思い入れは深くない),です.

まず大学以前ですが,高校入学当初は農学部に進学して食品関係のR&D就職を目指していました.しかし,高校数学を通じて数学が楽しくなってからは数学で教鞭をとって食べていければいいなあとぼんやり考えながら教員や受験産業をぼんやりと調べていました.幼いころから理想的には数学者になって大学で教鞭をとることでしたが,非常に狭き門だろうと高校生ながら感じていました.いざ大学に出願する際は,数学科のある理学部に行ける学類を第一志望にし,生命系を第二志望にしました.入試の結果は第二志望でしたが,高校入学当初に戻ったなあと思いながら浪人もできなかったのでそのまま進学しました.

大学入学後~学科所属までですが,生命系でも1年生では微積分・線型代数を学びます.「生命系でも」というのは明らかなスムージングポイントで,当時は理系は非数学系でも代数・解析・幾何の基本事項を学んで偏微分方程式で系を記述しているんだろうと思っていました.生命科学に対して数学的なアプローチがあることは聞いたことがありますが(数理生物学,代数生物学,etc.),少なくとも私が進学した学部ではそういった研究はどの研究室でも行われていないに等しく,2年以降は数学の授業はありませんでした(生物統計とかやっててもいいと思うんですが,3年時にコースによっては最尤法とエントロピーの話を聞ける講義があるくらいでした).一方,私本人は微積分と線型代数に触発されて数学への思いが再燃してしまいました.入学1か月と経たぬうちに数学科所属のための転類を計画したのは言うまでもないでしょう.微積分の講義は特にレベルが高く(or 先生のクセが強く),その授業をフォローして色々発展的な質問をしているうちに先生と仲良くなったりもしました.このT先生からかなり数学的リテラシを学ぶことができました.しかし私のいた生命系の学類は第二志望入学者が半数を占めており,転類志望者の数も枠に対して多く,激しい成績争いがありました.数学だけスコアが高くても成績争いに勝てるわけではありませんので他の科目も相当のスコアを修めるよう過ごしていましたが,平均点92超*6でも転類枠は勝ち取れず,数学科に落ちてしまいました.

学科所属~院の研究室探しと研究室所属までについて述べます.上記のようにして生命科学科に所属することになったわけですが,必修の少なさを利用して数学科モグリ&工学数学モグリになりつつ,元の平均点の高さを維持できるよう必修含むその他科目のお勉強に注力していました.生命科学科は3年時にコース進振りが存在し,また研究室所属は成績勝負であることが多かったため,ハイスコアは無駄にならないためです.結果的に,数学~応用数学(抽象線型代数フーリエ解析複素解析多様体論,常微分方程式統計学が主です.多様体論はものつくりサークルの活動にも役立ちました)の単位を集めつつ首席を勝ち取りました.首席を勝ち取ると,3年時頭にコースで一番偉い先生に呼び出されて早期卒業(いわゆる飛び級)の権利があることを伝えられました.早期卒業は大学院への飛び入学と異なり,制度上学士も貰えて院で外部に行くことも可能だったため,前向きに検討することにしつつ3年時のラボ所属前から大学院について調べ始めました.コースの先輩に院から他大の数理生物学の研究室に移った人がいたことに影響されて,数理生物学について最初は調べていたのですが,本当にやりたいことは数理生物学よりも抽象度が高いことではないかと常々思っていました.このころから,根拠なく,本当にやりたいことならD進してやり続けることも検討に入れていましたが,修士卒就職が普通だろうなあとも思っていました.一方,実際に数学科に潜ってみて純粋数学の研究をするのはかなり厳しいのではないかという気持ちも強くなっていました.ものつくりサークルの先輩の影響から制御理論に興味を持ち,そこから転じて抽象度の高い応用数学を志向して研究室探しをしていました.その中で,外部生を受け入れやすくかつ理論的な研究ができそうな専攻が自分の大学にあることを知りました.院に関しては後でも触れるのでここでは院試は第一志望に合格し,一方で早期卒業のために3年後期からは自分のコースの研究室の中で比較的興味があったバイオインフォマティクスの研究室に所属したということを述べて終えます.ただし,院試の面接では第1から第4のいずれにおいても志望していない先生から「修士に3年かかるかもしれないけどいいの?」と脅されました.当時は中々に不服でしたが,親は6年間は支援してくれるということだったので構わないと返答しました.スムージングすると,上述したようにD進検討する自信に根拠がないことや,以下の卒業研究にある通り当時のカイヤンの研究能力の低さを見抜かれていたのかもしれません.

学部の卒業研究

院試は希望の研究室に合格し,早期卒業のために学部3年後期から研究室に所属・半年で卒業研究を行うことになりました. この中で研究とかD進についてかなり思い知ることになります:卒業時には絶対D進などするまいという気持ちになっていました.

詳細は例によって折り畳みますが,下記のブログ記事にもあるように相性の問題だけでなく純粋に大変でした.まあ通常の半分の時間でやらなければならないかつ3年後期の必修は免除にならないのでそれはそうなのですが…….

まず研究室所属前からちょっとごたごたがありました.修士から学習理論の研究室に行くなら,生命科学データ分析手法のための基礎研究ということにして,修士の研究室に指導委託して卒業研究する方が全員の幸福になるだろうという提案がコース長からあったのですが,うちは生命科学の研究室ではないという理由で修士以降の研究室に指導委託を断られてしまいました.後に修士を過ごしてみたからわかるスムーシングですが,院の師匠はいろいろと安全側に倒して行動される御仁なので,理論や数値実験の研究では生命科学科が学士を認定しないのではないかと考えたのでしょう.ともかくこうした経緯で自分の本来の所属の中から卒業研究指導をしていただく先生を選ぶ必要が出てきました.実は自コースで研究するならここだろうという研究室を既に見つけており,見学も済ませていましたのでこの段階はすぐに決まりました.尤も,安易な即決だったなあと後から見ると思いますが.

実際に所属先が決まってからですが,早期卒業と言っても4年時必修が免除されるだけで卒業要件は基本的に変わりません.3年後期の必修も取らなければなりませんし,卒業用件のTOEICスコアも必要でした. このため,TOEICの勉強をしながら必修課題を片付けながら半年で卒業研究をする必要があったのです.学部生当時は研究という行為自体がそもそも初めてのことであったため,これは字面以上に厳しいものでした.特に語学力が高くない私にとってTOEICの卒業要件スコアの達成は簡単ではなく,毎月のように受けていました.必修の実験は落としさえしなければよいとはいえ時間を取られ,TOEICでスコアを出さなければならない重圧がかかり,その上右も左もわからない状態でテーマだけ与えられて具体的な作業指示はあまりないという状況に追い込まれました.早期卒業候補者かつ生命系では珍しくものつくりサークルの人間で,授業などでも積極的に発言・ソフト制作していた私に対して当時の指導教官は一定以上の期待をしていたのでしょうが,毎週の簡易的な進捗報告はいつも「〇〇なので△△したがうまくいかなかった or 終わっていない」の繰り返しで,段々といら立っているようでした(なお,状況報告に対して軌道修正的な作業指示は年明けまではほとんどなかったです).

12月にはTOEICスコアも何とか要件を達成し,研究についても先輩のコードを借りつつなんとかそれっぽい最低限の状態にまで持っていったのですが,ここで突然研究室セミナーでの中間発表を命じられました.研究室としては後期はじめには周知しているということだったのですが,どうやら私をMLに入れ忘れていたようであり,かなり直前になって発表が必要なことを知りました.年明けまで待っていただきつつ,研究室のマシンにOfficeも入っていなかったため,Google Slideでなんとか資料を作成して発表に臨んだのですが大炎上しました.こちらの拙著ぼやきでも述べていますが,データ可視化がテーマであり自分なりの規準とボスや助教さんの規準が食い違ってなかなかなことになっていました.他の学部生・院生がさほど燃えることなく発表できているのを見て,自分は全くもって研究に向いていないのだなと自覚するようになりました.今さら就活もできないので修士はなんとか取るつもりでいても,Dには確実に行かず就職先もR&D系ではないところを志向するように変質していました.ともかく卒業研究を終わらせなければならないので,ボスにセミナーの結果を持ち帰って報告(セミナーにボスはいなかった)したのですが,じゃあ自分でなんとかしてという程度の反応でした.その後もあまりにもできていない私に一回雷を落とした後,具体的な可視化方法について提案・コメントをしてくださいました.この方法を使って発表前の確認という形でラボ内発表をするとだいぶ良くなったという話になりましたが,可視化データの階層についてはボスと助教さんが僕を挟んで意見を食い違わせて私としてはかなり混乱させられる事態がありました.自分の納得と手元のデータの都合もあって,結局ボスの意見に合わせた可視化で最終成果物とし,何とか卒業研究を終わらせることができましたが上記のように自分で1から考える余裕はほぼないものでした.今思えば,可視化手法という題材であるため何ができたらゴールかを定めることが難しく,五里霧中になるのも仕方ない(ボスと助教さんとで意見が大きく食い違うのも当たり前)という気はするのですが,当時かなり精神的にキテいた記憶があります;ボスの指示と助教さんの指示が矛盾していたため.研究室生活の辛さを知った私の研究に対する思想は,修士をさっさと終わらせて社会に逃げようというものでした.卒研発表も前日は胃が痛く,当日はガチガチにあがってロクにしゃべれなかった記憶があります.

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修士課程入学当初

上記のように研究に対してすっかりと意識が低い状態になって修士課程に入学しました.進路は数学を使ってお金が稼げたらいいなあと思い,クオンツやアクチュアリを志向していました. 2016年3月~4月の私に,「今は会社でデータサイエンティストやりながらD1やでw」と言っても信じないでしょう――研究室は学習理論でしたが,代数幾何学など現代数学が本質的に*7応用されていることが主なモチベーションであり機械学習に興味は一切ありませんでした.確率論をある程度やるであろうことから,そこから派生して金融数理を身に付けられるかなあと勉強していた記憶があります.

社Dのケツイ

このセクションからがある意味本題です.いつ頃社Dを決めたか,という点についてを含みます.

  • 修士で入った研究室が良い環境で研究を楽しむことができ,D進熱が火が付いた.
  • D進したいが純粋理論の博士卒は就活が難しく,Dに行くと結果的にやりたい研究ができるか不明である(課程博士の先輩はDではアルゴリズム導出と実データ解析の研究をしていた).
    • そもそも親からはDまでは面倒を見れないと言われていた.
  • 師曰く,カイヤンはDをとれる実力はあるが昨今の大学はオワコンなことに十分留意せよ,と.

という点が社Dという選択肢が浮かぶきっかけでした.

修士課程入学後~最初の定理を作るまで

さて,詳細な経緯です.所変われば品変わる,ではありませんが,修士課程で入った研究室はとてもいいところでした.詳細な過ごし方は社Dを踏まえたものも含めて後のセクションに譲りますが,前期は修士課程の講義の合間に進めるという形で研究を進めました.理論研究がやりたい&M1秋~冬の学会で発表するのを目標としたい(就活時に何をやっていたか説明しやすいためこの時期の発表を推奨されていた),というワガママに対してとても配慮してくださった研究指導を受けることができました.

どのような指導だったかは折り畳みますが,とても丁寧でした.
そもそも研究テーマを決めるまでに1か月ほど毎週3時間以上も面談してくださり,じっくりテーマを練ることができましたし,理論系と方法系とでメリットデメリットがどのようなものかも説明を受けることができました.曰く,ゲームにおいて「一周目」は「エンディングを見ること」に重きを置いて一度走り終え,「二周目以降」から自分で考えて「いろいろな遊び方」をするように,研究も学生が望むならばまず一通り結果を出すまでは教官の指導下で研究を進め,一度国内会議レベルででも発表出来たら自分で考えていろいろやってみるように指導しているとのことでした*8

結果的にM1の夏には修論にできる定理が出来,何よりとても研究という行為を楽しむことができました.教官の指導下と言っても理論研究なので.言われた通りの手続きを踏んで得られた結果をまとめる,という訳にはいきません.なので自分で考えて進める必要があるのですが,自分の方針の数学的なassertionについてかなり丁寧に確認してくださるという形でした.次のサブセクションに詳細な心情吐露結果の拙著記事を引用していますが,こうして好きな研究をする楽しみを知ることができ,結果も出すことができて自信が復活した私に,D進の火が付き始めました.毎週の面談の中で,師匠と相性が良いどころか人格面でも大変尊敬できると感じていたことも主要な要因でした.研究面だけでなく日頃の雑談もあれば進路面でもかなり深く相談に乗ってくださったのです.研究室の課程博士を見ても,博士に対して突然人格が変わるようなことはなさそうでした.

M1夏に人生を考えてみる~社Dのケツイ

M2夏は就活が残っている or 修論で忙しいだろうと考えて,人生最後の夏休みらしい夏休みになるだろうなあと考えていました.

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実際は就活が5月にほぼ決着したのでM2夏休みも夏休みできたんですが,ともかく当時は上記記事のように動きながらいろいろと考えていました.進路関係と言えばこんなエントリーも残していましたね.

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残していましたね,とか書いていますが,実はこの「尊大な~」の記事が社Dケツイにおいて非常に重要な記録になっていました(本記事を書きながら気付いたww). 感情吐露のチラ裏レベルでも記録は残しておくものですね…….引用ですが,

進学と就活の選択に関しては、面談時点では就活一択だったが、どんなところを目指せばいいのか自分がなにをやると幸せになるのかわからない。そういった悩みだった。

から始め,

とりあえずの結論として--極めてふわついているのだが--社会人博士を取ることへの支援体制と博士の扱いが良い企業というのを目指す企業を選ぶときの基準として重く見ようということになった。

となり,

自分の身を守るため、そして研究者の必要条件(昨今ではPh.D持ちが民間R&Dのグローバルスタンダードらしいので、グローバルグローバルうるさい--実態も残念すぎるし--某日出る国でもそうなることは近いと推測)として博士号をなんとかしてとりたいと考えている。

としています.2016年8月3日,非常にexactに社Dをケツイした時期が特定できました.そして上記引用の元記事や前サブセクションのように,大変よい研究室にいると考えていたことから社Dの進学先は修士と同じにしようとも考えていました.なお,この面談以前に親に博士課程進学を相談したときは金銭的な理由から反対されたことも,課程博士は選択肢から消さざるを得ない理由でした.

なお,上記の記事にもあるように,夏のインターンは志望度の高いところを1社受けてあっけなく落ちるという結末でした.尤も,インターンにはさほど積極的ではなかったので件の1社しか受けなかったのですが.

社Dのケツイとその後

前述の定理を論文にしつつ,秋の国内会議発表の準備をしつつ,数値実験を進める.そうしてついに人生初の学会発表を経験しました.IBIS2016への参加です.

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この記事はただの参加記録(を含む近況報告)ですが,社会人学生アドベントカレンダーの趣旨に戻した振り返りをすると,学会現場で興味ある企業の人の発表を見つつもコミュ障してしまっていたという後悔がありました.なお,学会発表後に定理はarXivと国際ジャーナルに投稿しました.D論をこの方向性にするなら査読付き業績にしておきたいこともありましたが,どちらかというと人生最初で最後の論文投稿という経験になるかもしれない思いの方が強かった記憶があります.ケツイだけでDはとれないから業績化を狙いつつも,それが儚い夢で終わることも可能性が高いとして考えていました.

一方で,ケツイがみなぎったからこそ,環境を整えるべく「社会人博士を取ることへの支援体制と博士の扱いが良い企業というのを目指す企業を選ぶときの基準として重く見」るという就活を実践しました.就活については詳細は冒頭でも触れた拙著エントリーに譲りますが,そちらにもあるように就活の息抜きに研究していました.これは息抜きというのもあるのですが,2017年3月ころに某社の説明会に行った際に社D支援制度について伺ったところ,2年間ドクターに専念することが可能な制度があるが3年間ではないので修士のうちに成果出しておきましょう! というアドバイスをもらったことも起因しています.このアドバイスは就活後もM1夏の成果に甘んじずに研究を続ける原動力となりました.つまり,一度社会に出ることを決めつつも博士論文のストーリーに組み込むための修論以降の研究を考えようとしていたのです.詳細な実際の過ごし方は次のセクションで述べますが,上記のように就活中やその後も研究にリソースを割いて生活していました;自分は要領が悪い方なので仕事で動けなくなる前にやっておこうとしたのです.

修士課程の過ごし方

入学当初は上述したように学部でずいぶんな目にあったのでDに行くつもりは一切なく,好きな研究して修論を努力賞で終わらせればいいかなあと思っていました. とはいえ,やればポジネガ問わず結果が出て修論にはなる実験系ではなく理論系の研究にこだわったのは,やりたいことがやりたかったからです. ともかく,M1秋の学会発表を目標に授業の片手間で理論研究を進めるという生活を当初はしていました. M1秋の学会発表は,師匠の勧めもありましたが実際に(理論と実験という違いはあれども)ロールモデルにしたいような先輩もいたことが発表にもこだわった理由でした. 研究の話はあまりしませんでしたが,日常的な雑談や就活を含む院生の過ごし方など色々お世話になることが多くありました.

社Dのケツイをしてからは,D論に組み込むためにはどんな研究を続けるのが良いかを考えるようになっていました.同時に,ちゃんと業績になるようなという点も.M1夏に作った定理は汎化誤差の上界を導出するようなものだったので,さらにタイトな上界を目指して研究するというのがすぐに浮かぶインクリメンタルなテーマでした.一般の厳密値を求めるのは難しくとも,上界をタイトにすることに寄与できるケースで厳密値を求められれば研究は進むと考えていろいろと考えていました.それについて結果が出たのはM1終わり~M2始まりのころで,就活の真っ最中でした.結果を出すことができたのは数値実験結果を考察するために関連研究の論文を読んだことが大きく,人口が少ない故にブルーオーシャン的なことに甘えずちゃんとサーベイするとネタ探しだけでなく方法論の習得にも役立つと強く実感しました.一方で,インクリメンタルなテーマとしてはこれ以上は難しいかもしれないという思いもあり,就活後には新たなネタを探していました.

就活を終えてからは,自分でネタ探しをしつつもなかなか丁度よい難度のテーマを見つけられないでいたのですが*9,M2の夏ころにちょうど研究室のRA案件が降ってきました.RAと言いつつも完全に興味駆動というか,研究室でやるような理論研究をお金をもらいながらできるという案件*10だったため喜んで参加しました.このRAでもう一つ定理を作る・別の雑誌論文を投稿することに成功し,将来社D進学したときに目指すであろうD論の方向性を明確にすることができました(弊専攻には博士論文要件となる査読付き成果数は特にありませんが,師匠曰く国際ジャーナル2本が目安とのこと).就活中にM1夏の論文は採択されたため,この雑誌論文も通れば国際ジャーナル論文2本となり,博士号獲得が現実味を帯びてきます.社Dの博士論文に間に合えばよいという思いから,2本目は思い切ってトップジャーナルに挑戦してみました.その後はM1夏の定理で修論を書き,発表後も研究を続けて卒業しました.

就職活動

就活の結果は社D実績のある会社への内々定で無事終えることができました.とは言えど,行くことにした会社は唯一内々定を獲得できた企業でもあるため,社D志望を前面に押し出した就活はなかなか難しいのかもしれないと後になって思ったりはしました.実際,受けた企業の中で本当に社D制度が頻繁に利用されているわけではないところは最終面接前に落ちましたし,逆にちゃんと活用されているところは最終面接後に保留(たぶん英語力不足と先方のプレスリリースや論文調査不足があったため)とされたり,或いは1社受かった後かつ同グループだったため落とされたと考えられるような結果でした.

修士論文

修士論文は将来の博士論文の練習と思って詳しめに背景や事前知識・数学的準備を行うよう心掛けました.学部は研究発表のみで卒論はなかったのでthesis形式は修論が初めてなために若干不安もありましたが,アドバイザーの先生曰くエルゼビア社の雑誌などに真っ当なフルペーパーを書いた経験があるなら心配はいらないとのことで,師匠からpaperよりもthesisは詳しめに書くと聞いていたため行間をできるだけ無くすように書きました. 卒研とは打って変わって,修論発表は楽しみで前日夜に眠れなくなり*11,実際かなりウキウキな状態で終えることができました.発表後は修論とは別のテーマで実験を進めて,3月に国内会議発表をしてから修了となりました.

就職後の過ごし方

社会人1年目の特に前半は「常在研究室」を心掛けるぞと意気込んでいました.M2の終わりころに幼女戦記にハマり,Web版を一気読みした結果ターニャ・フォン・デグレチャフ殿の常在戦場(あれは建前だが)に感銘を受けてしまったのでしょう(頭203かよ).研修中は出勤時間が固定されていたために朝ラッシュ回避施策として7時頃には会社付近に到着してイートインで論文を読んでいました. また,修士のうちに2本の論文を投稿していた=博士論文の目安要件がすぐ手に届く位置にあったこと,家庭の金銭的都合や社会的情勢から課程博士に行けなかったことから,「未回収の博士号」を取りに行くという意識も芽生えていました(ネーミングの元ネタたる「未回収のイタリア」は回収できましたか……?).

「未回収の博士号」を取るためにも「常在研究室」の心構えと実際に手を動かすことが必要だと考えるようになっていました.平日はもちろん基本的に仕事をしますが,深層学習の計算時間のスキをついたり帰宅後の時間を使うなどして,修士のときのような理論研究を傍らで進めていました.師匠の直属でなくても継続可能なテーマを見つけられた自分に少し自信を抱きつつも,それ以上に発表を許してくれた会社には感謝しました.おかげさまで,このときの定理とM2のときの定理,少なくとも一方が採択されれば修論の定理と合わせて博士論文が書ける状況となりました.いよいよ博士の院試のシーズンが近づいてきた1年目の終わりころ,PMに社Dを相談したところすんなりと了承していただくことができました.一方,より上の上司からは他の社D勢と比べて要領が悪いことからあまり良い結果を産まないかもしれないと言われましたが,結果的には許可をいただいて院試を受けて進学することはできました.会社として社D実績は複数あれども,裁量労働制の中でやり繰りする形で,少なくとも個人の自己研鑽としての進学に対して支援制度はありませんので,本業を効率的にやれないと厳しいという指摘はごもっともと思います(それは理解して進学しています).院試そのものは僕から見ても難しくないレベルの英語の筆記試験と,修論発表+博士の研究構想発表という口頭面接がありましたが,特に問題なく通過できました.修士のときとは大違いで,何も厳しいコメントはありませんでした.ここまで,興味駆動の研究がしたいという気持ちに突き動かされてきましたが,幸運にも実現に一歩近づくことができました.

しかし順風満帆とは行かないものです.まず,M2のときにトップジャーナルに投稿した論文はrevision後の査読も含め投稿から1年経った後に「revise後は読みやすい論文になっており,内容としてもその理論的貢献から,採否ボーダーライン上にある」と言われつつも「応用が乏しい」という理由で落とされてしまいました(理論の論文を受け付けているジャーナルなのですが……実験しろという脳死コメントがなかったのはよかったです).「応用が乏し」くならないように定理の適用範囲を拡大する改良後,準トップ会議のジャーナルトラックに出しました.しかしこれも落ちてしまいましたが,かなり怪しげな査読コメントでありかつrebuttleがない会議でした.査読者ガチャに落ちたという理解です*12.AEは一定以上の貢献があることを理解してくださったのか,他の雑誌にtransferできるように手はずを整えてくれました(transfer先の査読には妙に時間がかかっているようですが……).

現状と展望

現在は社会人2年目(の12月)であり,1年目より格段に仕事が忙しくなりました.2年目の4月からD1になったのですが,年度最初はなんとか週一で夕方退社・ラボへ向かうということができていました.しかし,実現可能性のある研究テーマをなかなか見つけられず,忙しくなると月一で研究室に行ければよいくらいになっていました.社Dの場合はあまり研究室に行かなくても(全体のゼミに出なくても)良いラボ・それを許してくれる師匠だったからこそ進学したというのはありますが,D1=社会人2年目からその状態になるのは少し想定外でした.社Dには会社だけでなく指導教官の理解も重要という事実を噛みしめながら,今も時々研究室に行っています.最近ようやく手が届きそうな研究テーマが見つかって,それを考えるようにしています.また,数値実験の効率化のためにJuliaの勉強を再開しました.なお,休日は平日に失った体力と気力回復をメインに据えており,やる気がないときは研究以外のことをしていることが多いです.

現状として,M2・社会人1年目それぞれのときの研究成果は別々のジャーナルで査読中です.前者はtransferなので流石に落ちては欲しくないものです.研究については,2019年12月現在は案件合間ゆえに比較的ラボに通ったり論文を熟読することができています(最近,別AdCのための論文10本ノック記事も書きました).次の仕事が始まるまでの束の間の平穏のうちに,とっかかりになるような小進捗だけでも出したいものです.単位集めは,ファッキン*13リベラルアーツ系科目を必修2単位のうち1単位,専攻の選択科目を若干取っていますが,どこかで集中しないと回収が間に合わないかもしれません.

付録:修士及び博士ラボの編成.

  • PI(教授)
  • 学生(大学院生,学部生,研究生)

助教,研究員,技官の方はいません.昔は師匠の一番弟子が助教を務め,内外から研究員が集まっていましたが今はPIと学生だけの静かなラボです.博士については,社Dで3年以内に学位を取る方が課程博士に対する比率として多くいます.

なお,ここまでの文章にあまりラボメンの話が登場しませんが,各々が独立した研究をしていて,日常的なディスカッションやゼミを除けば研究としての関わりがあまりない(つまり先輩が後輩の指導義務があるわけではない)ことが理由です.仲が悪い訳ではないです.

以上です.ここまでの長文をお読みいただきありがとうございました.社会人学生AdC次の記事は,社D同志の望月紅葉さんと幸せな家庭を築きたい さん「社会人学生としての振り返り」を書いてくださるようです.

*1:執筆目標の正当化.政治力50消費.

*2:M2の方,申し訳ありません.

*3:I've filled with "D"etermination. Undertaleはいいぞ.

*4:弊社サービスに用いられているロジックの競合手法を肯定する結果となる理論研究していたりもする.これくらい自由.

*5:というか本記事は就活エントリー以上にイキイキインターネット感がありそう.

*6:弊学の各単位の成績は100点満点の整数値です.

*7:特異点解消定理がなければ証明できない.

*8:師匠はかなりゲームが好きらしく,「次元の呪い」についてFF5ネタを前期初期のセミナーでかましてきたりしました.ちょっと古めのゲームではあるので,バカ受けしたのは私だけだったのですが…….

*9:院生あるあるな現象と思います.難しすぎると解けず,易しすぎると自明で研究として成立しないというトレードオフです.

*10:師匠の科研費だったため師匠の研究領域であれば理論でも実験でも応用でも何でも可だったと思われる.

*11:遠足前の小学生じゃあるまいし…….

*12:”何でも解決した完璧な論文”を求めないで欲しい;どんな研究でも足りないところをひりだすことはできてしまうのだし,それはクリティカルリーディングとは言わないだろう.

*13:小学校の総合学習・道徳の時間みたいな謎グループワークをする.