カイヤン雑記帳

カイヤンがやったことを書いておいたり、ぼやきたいことを書き込んだりする場所

博士論文ノ最終審査ヲ完了セリ

創(つく)り拓(ひら)く理系人(りけいびと)たれ

遠く宇宙の果てへの研究から、微細なナノ・スケールでの造形まで。 あるいは抽象思考の極北を旅する純粋数学の凛とした美しさから、フラスコにひそやかに息づく生命の温もりまで。 およそ「自然」なるもののすべてを相手どる理系分野の学問は、とててつもない広がりを有します。 かつ、その卓越した発想や技法は今や文系分野の学問にも浸透し、新たな地平を切り拓きつつあります。

 -- 東京工業大学 アドミッションポリシー ?~2019

おはようございます,またはこんにちは,またはこんばんは.カイヤンです.

この度,2019年4月に入学した東京工業大学の博士後期課程における博士論文最終審査を完了しました.合格すれば,夏からPh.Dです.

最終審査を終え,かつ4月中の仕事もひと段落して一旦落ち着いたこのゴールデンウイークに,今までのことを少し振り返ってみたくなって筆をとりました.

本文

思えば学部入学の2013年4月から8年と1か月(修了見込みは+2か月予定),長いような短いような時間でした.

本学が入学者に期待する資質は、ただ二つです。

1.「理系」であることに「自信」を持っていること。

2.「理系」であることに「誇り」を持っていること。

 -- 東京工業大学 アドミッションポリシー ?~2019

私はこのアドミッションポリシーが大好きでした.取り扱う「自然」のスケールや抽象性の幅広さを最初に述べ,それが新たな世界を開拓していくとしています. 中段では上記のように入学者に対して理系であることに対する自信と誇りがあればよいと言い切ってくれます. そして,得意分野はどんなことでも構わないので足場を固めてほしい.そこから奥深く専門性・独創性を突き詰める環境が東工大にはあると. 加えて,このような理系である自分自身を好きでいてほしいと肯定してくれるのです.

f:id:chijan:20210501045420j:plain
東京工業大学 アドミッションポリシー ?~2019 画像Ref.

すなわち,言ってしまえばステレオタイプな理系オタクの東工大生というものがアドミッションポリシーにおいて肯定され,かつ求められていました. 我々が存在していてもいい,いやむしろそうあれかしと望まれているわけです.

こうして実際に理系であることに自信と誇りを抱き,創り拓く理系人たらんと心を強く持って入学したことは今でも覚えています. 他の記事にも書いてある通り,決して第一志望の学類に入れたわけではありませんが,それでも7類(ここ)で興味のあること見つけて極めようと考えていました.

なお,初回の数学の講義(特に微積)を受けてから即座に手のひら返して数学科(∈1類)への転類学科所属を目指したわけですが. 第二志望合格が多いすなわち転類志望者が極めて多い類だったこともあり,転類競争に敗衄するも,そのときに付けた学力と成績を足場に(少なくとも)コース首席をとってヒイコラ言いながら早期卒業したのは上記記事の通りです.

期限が実質4か月で必修授業とTOEIC対策をしながらの得意分野でないツール開発卒業研究が楽しいはずもなく,学士号を取ったころは理系であることに自信と誇りを持ちつつも学究的な創り拓く理系人たろうという思いは擦り切れて消えかけていました.こんなステータスだったことを考えると,修士以降の研究室は人生の転機とも言うべき出会いだったかもしれません.現にこうして博士課程に来てしまいました.

専門を統計・機械学習の理論に変えた修士序盤における研究室ライフの楽しさ・快適さが理由でDの意志が再燃したことは例によって上記記事の通りですが,こうして改めて振り返ると,件の過去記事にあるような指導教員の良さ以外にも高いモチベを抱けた理由があったと考えられます.研究室の先輩の存在です.

研究が好きでついでに奨学金免除にも使えるからと積極的に発表する修士の先輩と,博士の先輩がそれぞれいました.この方々の影響はかなり大きなものだったと思います. 学会に出すポスターを研究室の掲示板にA4版を印刷して互いにコメントを出し合う.学生の間で自然にアウトプットを目指していく風土が出来上がっていた時期だったのです. 単に研究に意欲的な先輩というだけなら学部のラボにもいましたが,修士のラボではそんな先輩方とよく交流することができたのが大きかったと思います. 冗談を飛ばしあえるような高い心理的安全性のある人間関係が構築されており,そこに新入生であるカイヤンを暖かく迎え入れてくれたわけです.

  • 件の修士の先輩は外部生でリア充ということもあって,イカ東工の僕とはかなり違うタイプの方でしたが,数学科卒ということで数学トークで盛り上がったり,他にもお酒の話とかで仲良くなって行けました.嬉しかったのは,研究に精を出して結果も出しているこういった先輩が研究室のメインテーマにかかる理論研究を(先生と)進めていたカイヤンを優秀と評してくださり,研究内容もすごいすごいと言ってくださったことです.学部のラボではテーマも僕個人も腫物扱いだったこととは対照的で,これが極めて良い影響を僕に与えたのではないかと思います.

  • 博士の先輩は内部生ゆえに価値観を同じくするところが多く,すぐ仲良くなれました.ゼミ部屋への行き来でも行動を共にしていたのはこの方が一番多かったと思います(お互いに同学年が自分だけだったというのもありますが).博士の先輩から博士課程について研究や進路など様々なことを伺うことができ,自分が博士に進学したらどうなるのかをかなり具体的にイメージすることができました.

こうして幸せな研究室ライフを送り修士号を取りました.金銭面や職業の安定性の観点から修士卒就職を選びましたが,先生の退官に間に合う範囲で可及的速やかに社会人博士として戻ってくると宣言して修了しました.このころには完全に,創り拓く理系人たれという思いがD進への決意として復活していました.一時は擦り切れていた消えない思いが帰ってきたのです.

また,自分の得意分野を数理科学と位置付けるようになっていました.実際,就活時点ですでに論文も書いていました修士2年生の時に聴講したある非常に印象深い講演は,数理科学徒たることに自信と誇りを持つようになることに大きく寄与しました:渡辺澄夫「学習理論よ何処へ」(IBIS2017)

f:id:chijan:20210501062049p:plain
渡辺澄夫「学習理論よ何処へ」(IBIS2017)p.8

IBISは国内最大の機械学習の学会(研究会)なのですが,伝統的に理論やアルゴリズムが多いとされていました.しかしIBIS2017は企画講演はすべて応用で,分野の先端に触れるため参加しつつ自分の理論研究を一般発表しにいった自分としては,理論は今や必要とされていないのだろうかという寂しさ・哀しさを味わっていたのが正直なところです(講演はどれも面白かったですがそれとは別に抱いた感想として). そこに統計的学習理論の一つ,特異学習理論の大家である渡辺澄夫教授(東工大)がぶっこんで来たのが上記の講演・スライドです. これを実際に現場で聴講したときにはすごく救われた気持ちになりました.ああ,数理科学はやはり大事なんだよなと.我々のやっていることは間違ってもいないし不要なものでもないのだと. これがオオトリ講演だったこともあって,とても清々しい気分で学会を終えることができました.渡辺先生は多分こんな記事を読んでいないと思いますが,先生の講演で少なくとも一人の院生の心が救われています.

ここまでが5年間の学生生活でした.博士課程や研究に関するところだけを抽出していますが,普段の回顧録的な記事やツイートよりも多少情緒的な面が押し出されている気がします.これ書いてるの未明~早朝だし

就職先は数理科学を大事にする社風のデータサイエンティスト企業でした.就活についてはすでに(バズった)記事があるので割愛しますが,ここでも入社後半年の感想で述べているように使用する手法をよく理解することが求められます.分析者として顧客に説明責任があると共に,何故その方法は顧客の問題に対して筋が良い/悪いのかを判断するには手法の中身を知っている必要があるというわけです.「定められた有名ソフトウェアにデータを入れてグラフを描いたらお仕事終了」(フレーズ借用元)という感じではないのです.

2年目春から進学するように動きました.1年目は研修もあるし仕事の基本のキくらい覚えたかったため業務に集中し,2年目から両天秤――といっても社D制度があるわけではないので公式エフォートは解釈:大学=10:0ですが――とする想定です.2年目だってペーペーなわけで本来は割とアブない動きではありますが,M2修了時点で雑誌論文採択1つ/投稿中1つ・国際会議論文採択1つだったこともあり,手なりで研究業績は揃えられると踏んでいたためです.社会人1年目の間に個人研究で博論に組み込めそうな定理も別途証明しました.さんざん引用している社Dのケツイを決めた話の記事のタイトルに「未回収の博士号」としているのはそういうことです(博論執筆要件は公式にはないが目安で英語雑誌論文2本とのこと). 博論として一つの研究にまとめ上げるストーリーも修士のころから想定して用意していました.準備万端としていざ進学です! 創り拓く理系人たれ!

……しかし見通しが少し甘かったようです.未回収の学位を取りに行くぞと生きこんだのですが,査読に連続で落ちるという不幸に見舞われました.結果的にtransfer先で採択されてその年度の業績ゼロは回避できたのですが,なかなかどうして躓いたD1となってしまいました.労働者2年目として新人のころより忙しくなっており,意外と講義の単位(東工大は博士でも講義12単位が必要)を回収するのが難しいという状況になっており,D1の間に新しい研究成果を上げることもできませんでした.創り拓けなくて申し訳ない……😢. ただ,D1の間に大学関連でいいことがなかったかというとそうではありません.2年目として急激にタスクが増えてヒイコラしているとき,むしろ大学関連は心の支えの一つとなりました. 推しのベイズ推論の書籍の著者が内輪向け講演に来てくださってその後飲んでじっくりお話する機会に恵まれました.また,実習型の単位として講習会資料を作成して発表するものがありましたが,SlideShareに資料を公開すると尊敬しているDSの方がそれを紹介してくださり,それをきっかけに多くの方に見ていただけました.

D1の年度末,例の伝染病が流行します.仕事も大学もオンライン化へ急速移行していきます.言っては何ですが,このオンライン化は個人的にはかなり良い結果をもたらしました. 家にいながら仕事と大学をシームレスに電脳空間の中で行き来できるからです.朝講義を受けて終わったら移動時間ゼロで出勤できます. D2の間は大学と会社のオンライン化の努力のおかげで単位も一気に集めることができました.更に,社会1年目の成果も論文として採択され,手元に3本ある形となりました. これは博論執筆要件を余裕で満足しています.そこで,研究は進めつつも早期修了を狙うことにしました.早期修了すれば業務復帰も早いし実績にもなるためです.

仕事の関係でD2年度末の卒業は難しそうだったため,3か月ずらすことにしました.そうなるとD2の冬に予備審査・年度末春に公聴会と最終試験という日程になります. これならなんとか間に合いそうだとうおーーっと博論を書きました(この段落書いてるときもう朝になってて脳がアレで語彙力どろどろ.ゆるして). また,D2の間にそれなりに火力が高いと思われる結果も出せて,それが予備審査にギリギリ間に合ったので博論に組み込みました(都合4本の雑誌論文と1本の国際会議論文で博論を書くことになりました). D2の間は研究や博論の進捗だけでなく,成果を紹介する機会にも恵まれました.特定されたいわけではないので詳細を伏せますが(今更感),これが博論発表の練習になりました. その甲斐もあってか,予備審査は特に躓くことなく,質疑応答時間長めでいろいろ聞いてもらえる修論発表と言う雰囲気で終わりました. その後のD2年度末の公聴会も,予備審査より難しめの質問でしたがまあなんとかなりました(一部は指導教員の支援が入っちゃいましたが).

そうしてD3になって4月末に最終審査を受けました.最終審査は厳密には公聴会とセットの審査プロセスのようで,公聴会の後にあらためて審査のために簡単に博論サマリを発表し,それから博論の中身に限らない色々なことを聞かれます.これがなかなかどうして(主に博論に直接関係のないもので)厳しい質問が散見される形となりました.事前に同分野別ラボの先輩からは最終審査は審査員視点で3回目に聞く発表でいろいろ慣れてるから消化試合的に終わると聞いていたのですが,カイヤンのケースではむしろ予備審査→公聴会→最終審査と難度が上がった印象でした(審査プロセスの位置づけとしてはこっちが正しい気がしますが……w).この質疑で博論で成した研究そのものを損なうことはないので流石に大丈夫だと思いますが,ちょっとハラハラドキドキしながら審査結果を待つ日々です.

終わりに

未明からの深夜テンションで一気に振り返ってみました.さすがに眠くなってきました.

8年前のB1の自分はまさかStatsMLの理論で博士課程に行くとは思ってもいないでしょうが,それでも理論家として博士号とれるかもというこの状況は当時の意欲高い自分に恥ずかしくない姿にはなれたかなと思います.

今でも,そしてきっとこれからも,僕は自分が理系であることに自信と誇りを抱き続けると思います. メゲそうなことがあっても,チャーチルの「我々は断じて降伏しない」演説*1を心に抱き,咲-saki-の末原恭子さん*2に「メゲたらあかん」「思考停止したらホンマの凡人」と脳内で発破をかけてもらって強い心を持って生きていこうと思います.

ここまで読んでくださり,ありがとうございました.

*1:よくツイッタで改変して書いてるやつの元ネタ.フランスが降伏して大陸をナチに取られて空襲を受ける中で「戦い続ける」と演説し,英国民を鼓舞した.

*2:D2時,コロナ下で友人と繋がりを保つべく定例でオンライン通話をしていた中で麻雀を知り,そこから咲-saki-を知って沼に落ちた.姫松高校は箱推し.