カイヤン雑記帳

カイヤンがやったことを書いておいたり、ぼやきたいことを書き込んだりする場所

尊大で臆病な進路悩み

おはようございますまたはこんにちはまたはこんばんは。カイヤンです。

なんかひどい雷と天気雨(豪雨)って感じですね。

最近ちょっと進路に関する悩みがうがーっと溜まってるのでうがーっと書きます。

注意:

割と傲慢かもしれない。任意の方面に対し攻撃意図は一切ない。なお例によってぼやきなので、意味段落を多少は区切ってもロジカルさはない。

導入

先日、研究室のボスとミーティングがあった。どうやら研究成果が学会に出せそうで、ジャーナル論文にもなりそうとのことでした。やったぜ。 5月から考えていた問題が2ヶ月ちょっとで発表可能レベルにまで解けると思わなかったので嬉しい限り。

一方、某社のインターンはESで落ちた。M1のインターンは枠の狭さゆえに本選考よりも厳しいので不安がるなと言われましたが、やはり精神に来る。

ボスとのミーティングはよく雑談が混ざっていろんな方向に話が進んで楽しいのだが、ふと将来への不安を漏らしてしまった。

この記事に書くのはそのときの話とそれについて考えたこと。なお、許可を取っていないのでそのときの話をそのまま書くわけではなく、あくまで筆者自身のことについてに限る。

本文

将来への不安を漏らすと、状況が一変……なんてことはなく自然な流れで相談が始まった。 進学と就活の選択に関しては、面談時点では就活一択だったが、どんなところを目指せばいいのか自分がなにをやると幸せになるのかわからない。そういった悩みだった。

ボスいわく、私は就活に心配はないだろうとのことだった。買いかぶられているのか安心させるためなのか事実なのかわからない。先日のぼやき風に言うなら、私の精神的背骨(そもそも私にあるか不明)では価値の判断基準ができていない。

私の気持ちとしては、理想は外資系IT(私の好きなOS作っている某社など)だが実際は厳しいだろうということで日本企業を考えるわけだがどうしようかという問題。私はクオンツかデータサイエンティスト(実装レイヤでもSEでもない)になりたいなんて考えているのだが、前者は大学のその手の講義の難解さと、金融業界の体育会系的空気からどうなんだろうかという思いと高収入を比べて悩んでいる。後者は、話を聞くと実際そういうちょうど良いレイヤの仕事があるらしいのだが、検索性に非常に乏しい。データサイエンティストの求人は確かにゴマンとあるのだが、割と実装レイヤな求人ばかりに見える。情報系に興味があるが、純粋なプログラマとSEには絶対なりたくない(たぶんプログラマにはなれないのでいいけど--非LLなどの大規模開発に向く低レイヤ言語が嫌いなので←思想・宗教箇所の一つなのでタグ付け)と思っているので、難しい。どう探せばいいのかわからないし、今やっているようなことを仕事にしたら嫌いにならないかというのが怖い。 仕事にすると嫌いになってしまいそうという意味で、ゲーム会社も憧れつつ避けている。

ところで、上で就活と進学は就活一択という思想だが、実際は進学がしたかった。財政的な問題で不可能なため、就活一択というのが正確な表現である。学振がとれればこの限りではないのだが、そんなものはよっぽどのことがなければ取れないだろう。

確かに面談の中で博士をとることについてや、本来は昔から大学教員に憧れていたということは告白したし、弊ラボから研究者になった人と比べて平均以上の能力があるということ、分野的にむしろ教員は不足しているのでPIも考えられるとお褒めいただいたのだが、これも自分で噛み砕ける価値判断基準で結論をくだせない。一方で、教育産業は大学も含め少子化もあって衰退傾向にあるというのは本当のようだったし。 私は大学教員に憧れつつも現実的に考えて高校教師か予備校講師を目指すことにしていたのだが、入学時に希望の学類へ所属できなかったことから教職の所得は諦め、技術系サークルに入ったことでエンジニアの道も良いと考えるようになっていた。その背景でもなお、アカデミックには未練タラタラなのである。

とりあえずの結論として--極めてふわついているのだが--社会人博士を取ることへの支援体制と博士の扱いが良い企業というのを目指す企業を選ぶときの基準として重く見ようということになった。 これには問題がある。なんでも、社会人博士の扱いは制度だけでなく直属の上司依存性が強い話らしい。上司が博士持ちだと好意的に受け取られることが多いが、博士を持っていないと……ということらしい。 また、社会人博士の扱いについて明言している企業が多いようには感じない。コネあって某社のそれについては聞くことができたが、コネがなければ聞けないようなものであった。なのでここで企業名を伏せたとしても内容を語ることは決してできない。ともかくそういうレベルなので詳細はコネでもないと聞けないのだ。

自分の身を守るため、そして研究者の必要条件(昨今ではPh.D持ちが民間R&Dのグローバルスタンダードらしいので、グローバルグローバルうるさい--実態も残念すぎるし--某日出る国でもそうなることは近いと推測)として博士号をなんとかしてとりたいと考えている。しかし、現状は上述のとおりである。どうしようか。

学振申し込みと就活の並行という荒業もあるらしい。しかし理論上内定は3/31までに辞退すればいいとしても、実際学振結果が出る冬まで待たせるのはモラハラだし、それまでに内定者研究などがあれば訴訟沙汰にされかねない。特に金融系は体育会系なせいなのか、某証券は通常の内定辞退でも呼び出してカレーやら灰皿の中身やらコーヒーやらをぶっかけたり、窓から飛び降りて帰るように命じたりするらしい(このemployer-employee非対称性は許していいとは思えないんですが現実問題めうめう)ので。日本企業はそういうところが多かれ少なかれありそうであると推測。まあ上の犯罪級の対応はさすがにただの噂だと信じたい。

書いても解決しないけど、感情メモ兼吐き出しとして。そしてチラ裏に書いて窓の外に捨てる感覚で公開をぽちっとするのであった。

追記:タイトルを変えた通りなのだが、こういう悩みを抱えるたびに、『山月記』の「尊大な羞恥心」と「臆病な自尊心」というワードを思い出す。そしてこれを教えた国語の教科担の「○高生は李徴である」という言葉も(○高とは私の出身高のことである)。実際、D進学と「詩歌としての名を死後百年に残」すというのは似ている気がする。「文名は容易に上がらず生活は日を追うて苦しくなる」。李徴には妻子がいるが私には彼女さえいない。李徴の妻子は、原典の漢文を見るになかなかドライ(死体がないと財産相続ができないので、「死んだことにしてくれ」と李徴に言われてそう報告した袁傪の言葉を受け取らず、結局妻子には虎になったということが伝えられたと)だが、それでも妻子がいるから思い切ったことをしたんじゃないだろうかと。実際、”最愛の妻”へ謝辞を述べた博士論文は多いらしい(ソースは知り合いのぼやき)。